たとえば日常的には、東京弁を「方言」とは呼びません。それに対し、大阪弁は「方言」と呼びます。しかし、それは東京が日本の都であり、「中央」であるのに対し、大阪が「地方」である、という認識に基づいてそう呼んでいるだけです。言語は「中央」−「地方」という関係から影響を受けることもありますが、純粋に「言語」同士を考える場合、「東京弁」と「大阪弁」の両者はあくまで対等です。東京弁から見れば大阪弁は方言ですが、大阪弁から見ても東京弁は方言なわけです。
つまり、このホームページで使う「方言」という言葉には「中央」−「地方」という前提がありません。
アメリカ合衆国で働く外国人たちは、職場では英語でも、家庭や母国に戻れば母国の言葉を話すでしょう。こういう人たちはどちらの言語の「話し手人口」に入れれば良いのでしょうか。
また、アフリカ諸国のように、職場では公用語、家に帰れば各民族/部族の言語、という生活を日常的に送っている人々も世界中にはたくさんいます。
また、「方言」の問題もあります。「日本語」と言ったとき、その「日本語」とは「標準語」を指すのか?という話です。すると、日常的に「標準語」を母語として暮らしている人は限られているはずですから、1億2千万人余りという「話し手人口」は誤り、ということになってきます。もしここに「東京弁」とか「大阪弁」とか、「日本中の方言すべてを含む」という定義を与えたとしても、今度はどこまでが方言なのか?という問題が生じてきます。
日本国内を例に挙げれば、津軽弁と鹿児島弁で話し合ってもおそらく、ほとんど通じないでしょう。世界の言語にはこういった例は数多くあり、エジプトの「アラビア語」とモロッコの「アラビア語」は全然違います。通じるかどうか微妙なところです。別の言語と見なしたほうがむしろ自然です。反面「ノルウェー語」と「スウェーデン語」とか、「タイ語」と「ラーオ語」は『別の言語』のはずなのに、通訳なしで話すことができます。
すなわち、『言語』や『方言』の定義は非常に曖昧という現実があるので、「話し手人口」とは、人為的な区分による数であると言うことができます。言い換えれば、「話し手人口」とは、その言葉を使う人によって数が違ってくるということです。だから、「どこそこのホームページと数が違う」とか、「自分が読んだ本と数が違う」というのは当たり前で、このページに載せている数字は私が今まで読んだ本の数字をもとに表しているつもりです(「○億から☆億人とされている」など)。
彼は 私に 彼女の 写真を 見せた
という5つの文節から成る文があります。
この文の前4つの文節にはそれぞれ述語との関係に応じて「格」があると考えられます。「彼は」は「主格」、「私に」は「与格」、「彼女の」は「属格」、「写真を」は「対格」と一般的に呼ばれます。これが文中における各文節の「格=立場」なのです。格の名前は、言語によって、あるいは書物や研究者によって呼び名が違うこともあります。
下の表は一般的な呼び名で、どんな言語でも出てくるような代表的なものを挙げてあります。
| 格 | およその意味 | 日本語で主に該当する助詞 |
|---|---|---|
| 主格 | 自動詞の主語をあらわす。 | が(は) |
| 能格 | 他動詞の主語をあらわす。 | |
| 属格 | 他の文節に付随し、「所属」「所有」「属性」などをあらわす。 | の |
| 与格 | 動作の及ぶ方向を表す。 | に |
| 対格 | 動作の直接的な対象を表す。 | を |
| 奪格 | 動作の始点を表す。 | から/より |
| 具格 | 手段を表す。 | で |
| 処格 | 場所を表す。 | で、に |
このほかにも、言語によって「欠格」とか、「前置格」とかいろいろあります。
※注意:管理人は一応言語に携わる仕事をしてはいますが、別に学位を持っているわけではありません。また、大学で専門的に言語学を学んだわけでもありません。なので、言語に関するページについては、内容が間違っている可能性もあるということをお断りしなければなりません。自分なりに信頼できる書物から引用しているつもりですが、勘違いとか、思い込みとか、引用文献同士に内容の食い違いがあるというのはありうることです。なので、ここに書かれたことで不都合を蒙られたとしても責任は取りかねます。 また、このことばページの国旗画像はWikipdiaのものを利用しています。